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2020.05.01インタビュー
江戸川区の鉄筋工事会社、藤和工業の佐藤社長。仕事に情熱のある社長に出会えるのはここ!
東京都江戸川区、専門にビルやマンションの建築を行っている鉄筋工事会社の藤和工業です。
社員数は11人。担当している現場や建物は、ビル・マンションや倉庫、商業施設などで、主要取引先は15~16年程、お付き合いいただいているノハラスチールという会社です。
これまで弊社社員のインタビューをいくつか掲載してきましたが、ここまで弊社社員が仕事に向上心を持つ背景には社長の努力や姿勢、社長自身に何か理由がある・・。そこで、今回は弊社社長である佐藤欣亨(さとうよしゆき)の魅力をお伝えすべく、佐藤社長のこれまでの背景に迫りインタビューを伺ってきました。
―佐藤社長、改めて、お名前やご年齢、経歴、趣味を教えてください。
佐藤欣亨(さとうよしゆき)、45歳です。この仕事をして30年が経ちます。この仕事の魅力にハマって自分の技術力を上げたい、そして東京都で一番になりたい!という思いから東京都鉄筋業協同組合主催の「鉄筋技能大会」に出場しました。そこで準優勝したので、技術力には自信があります。
趣味は、キャンプ。非日常体験が好きで、月に一度キャンプに家族と行きます。最近は、年越しキャンプを群馬県でしてきました。
―佐藤社長はこの業界に入ってから、どれくらい年数が経ちましたか?
15~16歳で鉄筋工の仕事を始めました。もうかれこれ30年程経ちます。一度、ハマったら熱中するタイプですので、夢中になってこの仕事に打ち込んできました。30代まではとにかく突っ走ってきたので、ここ最近やっと自分も落ち着いてきたという実感はあります。でも、まだこれから会社を整えたり、規模の拡大をしたり更には成し遂げたいこともあるので、心は生涯現役です。
―どうしてこの業界で仕事をしようと思ったのですか?きっかけは?
幼い時から、プラモデルを作るのが好きで、細かい作業は得意でした。幼い時から、自分を客観的に冷静に見る性格もあって、中学生になると、少しやんちゃなこともしましたけど、このまま人生を歩んでいったら自立することや生活の基盤である職に就くというレールに乗れない、逃したらまずいと思っていました。そんな中、友人の紹介でこの仕事を紹介してくれたのがきっかけです。当時は中学生ということもあってアルバイト感覚で、1日1万のお給料がもらえるからという甘い考えで、仕事はそんなに理解せずにとにかく仕事をやってみたという感じですね。
■「はじめは何となく鉄筋工の仕事を・・・。続けていくうちに熱中していった。どんな仕事でも突き詰めたら面白さが見えてくる!」
―はじめは何となく働いていたとおっしゃっていましたが、続けていくうちに鉄筋工に対する価値観が変わったのはいつですか?
鉄筋工事は1つのブロックごとに施工をしていきます。だんだんと自分にスキルや知識がついてきて、上司からその1つのブロックを任されたときですね。責任はとても感じましたが、上司からしっかりと評価をされて認められたことが嬉しかったのを今でも覚えています。
―30年程のキャリアを積んでこられて、10代・20代・30代、現在と、年代別で仕事のやりがいや楽しさ、価値観の変化はありましたか?
どの年代も様々な思い出があります。鉄筋工事は建物の中の基礎の部分にあたります。完成していくにつれて鉄筋は目には見えませんが、無事に完成した建物をみると、この仕事のやりがいは感じます。
10代は、人よりも早く仕事ができることを目標としていました。鉄筋工事は、同じことを組み立てるにも人によってかかる時間が異なります。職人にとって「きれいに早く」というスキルは必ず求められることですし、大事な部分だと思います。ですので、現場に入るときはひたすら上司の作業の手順を見て覚えて、現場を出て後、自宅では施工方法の資料を読み込んで寝る間も惜しんで勉強をしていました。
そうですね・・21~22の頃に独立をしたので、20代は、目先の仕事をこなすことで精一杯、がむしゃらになっていましたね。人を集めて大きくしたい!と思うまま、3~10年経って、自分の思っているとおりにならないことが続きました。一時期は5人いた従業員が気づいたら2人になっていた時期のもありました・・。
30代は、20代と同じように考えながら、とにかく必死で仕事をしていました。ですが、35歳を迎えたとき、自分の体力に限界を感じてきまして、社員に任せることが多くなりました。以前は会社の規模も小さかったので、自ら現場に出て人一倍働いていましたし、自分の技術力にも自信がありましたからね。でも客観的にみて、会社や社員のことを考えたときに、これだと社員のためにならない。自分は第一線から身を引いて社員の技術力の向上や仕事に対する責任というのを学ばせていかなければならないと思いました。
現在は、現場においては手伝うくらいです。これからは社長として助言をしたり、社員の育成に力を入れていきたい。でも、いつだってどんなときも気持ちはエースの4番です!!
―これまで、色んな施工に携わってきていらっしゃると思いますが、一番印象に残った仕事は何ですか?
どの現場も思い出ですが、一番は、安藤忠雄さんが設計した上野にある国立国会図書館国際子ども図書館ですね。独立した頃から、鉄筋工事の複雑な現場が得意でして、そういった現場をたくさんこなしてきたこともあり、今回の依頼があったのはとても嬉しかったですね。
―どうしてこんなに長年続けてこられたんですか?秘訣は?
正直、誰でも自分に向いている仕事には出会えないと思いますし、ないと思います。どんな仕事でも突き詰めてみた先に面白さが見えてくると思うんですよ。鉄筋工事は、コンクリートを打つ前に工事監理者が、鉄筋をみる検査が入るのですが、工事監理者の方に「きれいに工事をしてくれてありがとう」という言葉をもらえるのが本当に嬉しいです。だからこそ、続けられる。うち(藤和工業)が担当したらこんなにきれいに鉄筋工事を仕上げます、と自信を持って言えます。
■「独立を決意!そこに迷いや不安はなかった。」
―独立を決意されたきっかけは何ですか?
きっかけは、神戸の震災です。その頃は、復興の支援をしたいということもあり、関西を拠点に。将来的には関東に戻ることを見据えて仕事をしていました。
―迷いや不安はなかったのですか?
一切ありませんでした。当時は社員も2人程で、未婚でしたから何も守るものがなかったことが大きいですね。仕事人間なので、仕事に没頭していました。そして、29歳で法人化にするという目標があったので、日々、目の前の仕事をこなすのに必死でした。私自身、仕事人間なので大変でしたが、自分に厳しい性格もあり、やりがいは感じていました。
というのも、15歳で社員として働いていて何年か経ったころ、与えられた仕事をこなすのではなくて、自分の裁量で仕事がしたいと思い始めて21~22歳で独立を決意しました。
結果的に、今はこうして鉄筋工事会社を興しましたが、他の職についていても独立をしていたと思います。突き詰めたら没頭する性格で度胸もあるので、誰かに指示を受け仕事をするというより、もっとこんなことがしたい!と思う気持ちや、のしあがっていきたいという感情は人一倍強いですし、一度その世界に入ったら他の人には負けないくらいの知識やスキルをつけて、その道のプロになりたいと思いますからね。
―独立したときに立てた夢はありますか?
「地図に残るような誰もが知っている建物を残したい」これに尽きます。
実際この夢を叶えていらっしゃいますもんね!佐藤社長、自分に限界という幅を設けず、納得のいくまでやり続ける、仕事に対する姿勢や情熱が本当に素晴らしいですね。かっこいいです!
■「独立するにはそれなりの覚悟は必要。何事にも積み上げていくことが大事」
―実際、独立する前と後、仕事の案件や収入、思わぬ出費など、変化はありましたか?
仕事の案件は、独立したての頃は、神戸を拠点としていて現場には常に人手も足りない状態で、ありがたいことにご縁でこの仕事やってみたら?と声をかけていただいたので、仕事を取ってきたのはそんなにありません。やはり、独立したことで仕事を自分のやりたいように自由にできることはよかったなと思います。
収入は増えると思いますね。ただ、私自身、お金に興味はないので。(笑)もちろんこの業界は稼げる仕事ですが、でも自分の大事にしている価値観はそこではありません。自分が熱意を込めて精一杯取り組んで鉄筋工のプロとして、自分も満足のいく鉄筋工事を終えて、「きれいにやってくれてありがとう」この言葉をもらえてからその対価として、お金はもらえると思っています。お金を優先してしまうと人は、ついてこないと思いますし、それは仕事にも表れると思います。
思わぬ出費は、若い頃は自分たちの生活で精一杯なところもあったので、鉄筋工事で使う道具を買うのは勇気が必要でしたね。あとは、事務所をかまえる資金くらいだと思います。
―独立=大変というイメージを持ってしまう人も多くいらっしゃると思いますが、佐藤社長は大変だなと感じたことはありますか?
独立=大変っていうイメージ。大変と思う部分も人それぞれだと思いますが、自分が大変だったのは社員集めです。求人を出してもそんなに集まらないのが現実です。この業界は、どの会社も給与は同じくらいですし。それに弊社は、仕事に真面目に取り組む人が多いですので、会社のカラーに合わないとすぐ辞めていく人もいます。
ですが、私自身、自分にも他人にも厳しいので大変と感じたことも後悔も一切ありません!ただ、独立すると決意したら、人の何十倍もの努力は必要なのは前提ですし、立ち向かって逃げないこと。今、もがいている人はまだ独立のタイミングではないのではないでしょうか。いつか、道が開けるときはあります。そのタイミングまで、自分のスキルを磨いたり準備をする期間と思って地道にコツコツ積み重ねることが大事だと思います。
■「今後は、第二の自分のような社員を育成して、会社の規模拡大を目指す。」
―会社のビジョンとして「嘘のない、まっすぐな人を育てる」とありますが、それは人間的にもまた仕事の姿勢に対してもということですか?また、会社にとって社員の育成をどのようにしていきたいと考えていますか?これから、どんな人材が必要だと考えていますか?
両方ともですね。社員、皆それぞれにある強みや個性は伸ばしてあげたい。現場は一つではないので団結力は大事ですし、今後は管理職レベルのリーダーとして現場を納めていく人材を育成して、そしてその下で働いてくれる人を集めていきたいです。
これは、長年感じていることなのですが、この業界の人は自分に弱いところがあって、仕事も長続きしないと思います。だから、逃げずに真面目に仕事をやってくれる人が必要だと考えます。職人という言葉だけで聞くとハードルが高いイメージを持つ人が多いと思います。私はアルバイト時代からこの世界に入っているので、他の仕事がどれくらい大変なのか分かりません。ただ、どんな仕事にも楽なものは、ないと思います。ですので、真面目に働きたいです!と考えている人は、とりあえず弊社に来て3年くらい頑張って働いてみなよ!と考えています。そしたら、楽しい!と感じるポイントがあると思いますよ。今、人生100年時代と言われていますし、手に職を持っている方が強みになると思いますね。
―佐藤社長、ご自身の今後の目標やこんなことに挑戦したい、というものはありますか?
一番は会社の規模を大きくしたいことが目標。そのためにもしっかり、社内の体制を整えていきたいですし、仕事の受注も増やしたい。独立した時の夢は叶っていますが、もう一度、「地図に残るような誰もが知っている建物を残したい」。例えば、国立競技場レベルの大きな仕事をしていきたい。いつまで経っても生涯現役!エースの4番の自分でいたいです!
―今後、会社をどのようにしていきたいですか?ビジョンはありますか?
現在もそうですが、将来的にもリノベーションなどが増えてきているのは事実です。新築は建ちにくい状況になってくるのも分かります。けれど、鉄筋工事はハンドメイドの仕事であるので、なくならないと思います。時代の流れで様々な壁にぶち当たることもありますが、会社としての技術力には自信がありますので、競合がいる中でも負けずに、しっかりとやるべきことをして、仕事をしていきたいと考えています。
今回、佐藤社長にインタビューをして感じたことは、自分対する厳しさと仕事に対する情熱。佐藤社長の圧倒的な技術力が会社にあり、社長の技術力や人柄を目指す社員がついてきている。佐藤社長の姿勢が全てを物語っているように感じました。社長の姿がそのまま会社のカラーになっていて、とても魅力を感じました。
藤和工業では、経験の有無にかかわらず鉄筋工の職人を募集しております。また、東京都内で鉄筋工の仕事を依頼したい、という企業様はぜひ、弊社にご連絡を頂けますと幸いです。